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10年の夢が叶わなくても

『粕谷幸司の自由なコラム』18

 僕には夢があった。
 幼稚園の頃。親に連れて行かれた体操教室が楽しくて、大きな声で「ぼく、オリンピック選手になる!」と宣言していたらしい。でも、アッという間に飽きちゃって、すぐやめちゃった。
 小学校に入って、『ズッコケ三人組』という児童小説を読んで、アレコレなりたい職業を妄想しながら「新聞記者になりたい」と言い始めたりした。いろんな世界を見て、それを人に伝えるのが楽しそうだった。
 中学校の頃、本気で「物書きになりたい」と思った。特にテレビドラマや映画が好きで、三谷幸喜や君塚良一のような“面白さ”に魅了されていたから、シナリオライターになりたいと思って、日芸に行くことを目標にした。
 大学卒業の頃。いわゆる就活で散々グチャグチャに悩みながら、芸能事務所やテレビ・ラジオ局、メディア制作会社などで働く夢に挑んで、玉砕していた。仕事にすること、それで“食っていく”ことの難しさを痛感していった。

 Project One-Sizeを立ち上げながら、何も見えない未来へ、否応なく飛び出していった。それが…、10年前。

 新しい夢は、ふと思いついた。「タレントになりたい」。
 自分が持っていたアルビノというモノを、存分に利用してやりたい。そしてもっと、面白い人生を切り拓きたい。ふと思い立ってからしばらくは、本当に楽しかった。
 「将来はタレントになりたいんです」と言って入社したIT系の会社に勤めながら、しゃべりの勉強をしにスクールにも通った。
 その頃から、ブログをかなり“意識して”書き始めた。日記ではなく、不特定多数の読み手に届けるブログの書き方、のようなことを必死に考えたりしていた。
 ふとしたタイミングで会社を辞めてから、人前で話す仕事を少ししたりした。NPO法人がらみの講演会のようなものだったけれど、僕はいつも“少しでも笑わせよう”と意識していた。
 しばらくのらりくらり無職で、酷く無様な生活もしていたけれど、2年半前。いてもたってもいられず「たくさん稼げなくてもいいから、やっていて面白い仕事(アルバイト)がしたい」と志願して、今のルーナファクトリーのスタッフになった。ライブアイドル・タレントのプロデューサー、マネージャーをする日々は、苦しいこともあるけれど、やっぱり面白いな、と思う。

 気付けば、夢はどれひとつ、思い描いたように叶ってはいないのだけれど。

 新聞記者は、ブロガーのようになって今も僕の中に息づいている。
 物書きもシナリオライターも、ネットラジオで、そしてたまに舞台の脚本を書いたりして、ずーっと続いていて。
 しゃべり手も、そのネットラジオくらいだけれど、ずーっと“よくしゃべる人”であり続けるだろうから、きっと終わることはなく。
 規模はどうあれ、僕は今、タレントたちをマネージメントしながらステージをつくる仕事をしているし。
 オリンピックとはいかないまでも、世界に向けて“アルビノの人間”で、攻め続けている。

 大きな夢を、思い描いたとおりに掴めてはいないけれど。
 そのどれもが僕の中に生きていて。
 かたちを変えて、今の僕をつくってる。

 10月24日のイベントを終えて。それも振り返れば、思い描いた夢とは少し違った現実になったなあ、なんて、いま落ち着いて考える。
 いくつも弾けた夢の泡は、消えてなくなってしまうように思えるけれど。こうしてゆっくりと眠りについて、また新しい1日がはじまると、その記憶が、過去が、これまでのすべてが、この体に、目の前に広がる世界に、染み渡っていくような気がして。

 ここまでしてきたことを、明日からも大切に胸に抱えたまま、
 思い描いたのとは少し違う未来も、楽しんでいこう。

 夢が、思い描いたとおりに叶わなくても。
 この先の世界は、果てしなく続いている。

明るいほうへ、世界を変えよう

『粕谷幸司の自由なコラム』16

 ちょっと前に、twitterで呟いたんだけど。
 政治活動そのものについては、なんとも言うことはないけど。「戦争法案」と言い換えているやり方は、なかなか善しとは思えないんだ。

 …このたった一行だけの解釈では誤解を生んでしまうかもだし、なにより今このタイミングでこの件をモニョモニョ言うのって難しいし、むしろ言いたいことはソレではないからいいんだけど。
 世界を変えよう、と思うときに、どんなやり方が好いのかなって、ふと思うのね。

 僕の話に引き寄せると。僕は、このアルビノを悲劇にしないで、エンターテイメントの材料にすらしようと思って動いているわけ。
 っていう僕の思考を知っている人は「なにをいまさら」だと思うのだけど。

 悲しみや苦しみは、多くの人に響きやすくて、そしてどんな人にもわかりやすくて、わりと濫用されているように思う。
 僕も小さいころに「世の中には食べるものがなくて困っている人もたくさんいるんだから」って話を聞いて育った。子供ながらに「なるほど、そうかー」と思って、食べ物は大切にしよう、とは思った。
 だけど、実はそれって、ちょっと乱暴な展開というか。実際には“目の前の物を食べさせる”という私利私欲(?)のような目的で、引き合いに出してるだけのような、気がしてさ。

 アルビノについてだって…“世の中には、アルビノとして生まれただけで生命の危険に晒される人もいる”状況があったり、現代・国内だって“いじめ・差別”をはじめとする問題があるにはあったりして。
 その事実から目を背けるわけにはいかないけどさ、だけど、だからって「ね?かわいそうでしょ!?」というアピールって、楽しい未来をつくれるのかな。果たして。
 一昔前にも「○○しないと不幸になる」「○○ないと地獄に落ちる」とか、変な言い回しがアレだったことがあったっけ。それって、脅迫なんじゃね?みたいな、さ。

 単なる言い方の話、と思うことも出来るけど。
 けど、その言い回しで、届く思いに違いが出ることってすごくある。

 僕がこれまで関わってきたいろんなところでも、悲しみ・苦しみを材料としてアピールしちゃって「こんなにかわいそうな人がいるから○○してください」のような展開をしていたこともあったけど。
 それは僕にとって全然、楽しい未来をつくるための方法として好くないと思ってるんだ。

 そりゃあ、問題の本質による。すべてが、そんなに楽しく転換できるはずもないけどさ。
 でも…、過去や現在を否定するんじゃなくて受け入れたうえで、未来を明るく照らす方法を、選んでいきたいと思うよね。

 僕にとってのアルビノは、グラビアアイドルにとってのおっぱい(例えをすぐおっぱいにする悪い癖)。
 そんな感じのほうが、多くの人の幸せをつくれる、と思ってる。

 おっぱいが大きくて、もしくは小さくて、悩んでる人。
 大丈夫、それを好きな人もいっぱいいる。それを武器に、輝いている人もいっぱいいる。
 そして、今はいろんな方法を選べる。隠すことも出来るし、魅力として使うこともできる。
 自分らしい生き方を、選ぶことができるから、大丈夫。

 …ほら、一緒じゃん。

 でもたったひとつ「かわいそうだね、苦労したでしょう」って思いをそこに混ぜると、明るい未来がかすんでしまう。
 本当は楽しい方へも考えられるはずなのに、暗く、険しい過去や現在に閉じ込められちゃう。
 未来に向かって進む一歩を断ってしまうことこそ、不幸の連鎖になる。

 そして、この根本的な“捉え方・伝え方のバランス”は、まだまだ変わらないから。
 だから僕は、繰り返す。

 僕は、このアルビノを悲劇にしない。

夢見てみる

『粕谷幸司の自由なコラム』13

 そうだ最近、寝ている時の夢から抜け出せないというか、夢と現実が切り離せないことが多い。
 前からそういうことはたまにあって。すっごく愛し合ってる彼女と、かなり濃厚にエッチなことになってて目が覚めて「あ、夢か」と思って起き上がりながら隣を見て…「あれ?彼女がいない。そうか、先に起きて出かけるって言ってたっけ」と思ってから「…うーんと、彼女いないじゃん」って思う。みたいな。
 あの虚しさね。そんなならいっそ、夢なんて見なければ良かった!みたいな。

 ところで先日、友達と飲みながら「喫茶店でもやるか!」「いやそれならカフェバーみたいにしよう」「じゃあイベントスペースみたいにしよう」「…資金がねえな!がっはっは!」みたいな話をしてた。
 夢見てみるって、楽しい。癖になる。

 もちろんそうなったら、前から妄想してる「アルビノ・カフェ」ってのも良いな。
 アルビノの店員(僕)がいるんだ。バイトにも、アルビノの、可愛い女の子を雇おう。んで、アルビノのお客さんでも読みやすいようにメニューは文字を大きく工夫したり、アルビノの店員をキャラクター化したグッズとか置くし。
 でも集客はすごく大事だし、定期イベントとかで活性化しておかないといけないから、存分にProject One-Sizeも使いたいな。公開収録…!というか、むしろ月に3回の収録を全部そこでやれば良いんだ。そうしたら、中澤まさともファンの皆も遊びに来られる。平日の昼間とかだけどな(笑)。
 あ、そうだ。そうしたら関連するCDとかもそこで販売すれば良いんだ。そしたら店舗限定で「サイン入り」とかを販売できる。One-Sizeの過去のドラマとかも再録して、CD-R版とかも売れちゃうんじゃない!?通販とかヤバい大変だけど、自分で店舗を持ってたら、かなり良いね。
 そしたら、そこが僕の個人事務所みたいになっちゃうかも。大した実績も無いのに独立って(笑)。これまでお世話になったたくさんの人に失礼だな…。あ、でも例えばイベントスペースなら、関係者には格安で…!
 でも、やるならちゃんと美味しい料理も無いとな。あ、料理が好きな友達がいるわ。料理長は任せられるな。というか、周りには結構、そういう気軽なバイトを探してる人もいるかも…?平居さんとか、声優の仕事が入ってない時とかに、バイトとして入ったりしないかな。それって楽しいな!
 …あれ、なんかこれ、メイドカフェで働くアイドルの卵みたいになるかな。あ、じゃあもう、関係各所のアイドルさんのCDとかも販売するか!そしたら、ファンミーティングやインストアライブ(!?)で会場を使ってもらえるかな!?
 そうだ、そしたら僕が昔ちょっと働いてた会社のサービスを告知する何かを置こうか。ってか、店内のWi-Fiとかあると良いよね。そいで、店内でお客さんがポッドキャストとか聴いてたりしてね。
 Wi-Fiちゃんと用意するなら、そこから生放送も出来るか。おお、楽しそう。

 …夢は膨らむ。とても楽しい。
 けど時々、夢と現実が切り離せなくなることがある。

 夢を現実にすること、現実が夢を遠ざけること。
 夢と現実が切り離せないから、ふと目が覚めて虚しくなることもある。
 けれど遠い夢が、この現実の先にあるのかも知れないと思えたら、今がときめくかも知れない。

 最近、その夢と現実とを眺めながら二の足を踏んでいる僕だけれど。
 いつか、そんな夢に、手を伸ばそうと高く飛ぶ時が、来るかな。
 そしたら皆にも、全力で応援…、してもらえるかな。

インターネットへのラブレター

『粕谷幸司の自由なコラム』12

 僕がインターネットを始めたのは、高校1年生くらいの頃だった。1998年くらい?Windows 98くらい。
 家のFAX機に引いていた電話回線からダイヤルアップでインターネットに接続…だなんてもう、全部の単語が懐かしい。今の10代にはもはや古語…!

 ともあれ、そこから17年ほど。僕の人生の半分以上は“インターネット大好き”で暮らしてきた。
 はじめは、何をするわけでもなく「インターネットが繋がった!」ということで満足していて、持ち前の飽き性が発動していたらそこで、わりと何も開かずに終わっていたかも知れない。
 けれど…、きっかけは何だったかなあ?何かのきっかけで、チャットの面白さを知って。知らない人がやってることを聞いたり、自分が考えてることを話したり。そのうちに、友達と趣味で書いてた自作小説を見せたい、と思ったりしはじめて。そしたら、ホームページを作ると良いよ、なんてことを知って。レンタルスペースで、HTMLタグのコピペで、とりあえずテキストサイトのようなものを作って。
 …このままコツコツ書き連ねていくとキリがないから割愛だけれど。
 そんなこんなで僕の人生は、インターネットを軸に歩んできたと言っても過言ではないくらいなの。

 それだけインターネットを愛しながら生きてきた僕なので、これからも、インターネットでの活動は、大切にしていきたいな。

 紆余曲折した挙げ句、僕が漠然と“タレント”を目指し始めた時。
 何かしたくても何も出来ないで、モヤモヤしている僕に誰かが言った。
 「何かで1番を獲ったら?」
 僕の中には、ピン…と、わりとすぐに答えが出た。
 “アルビノで1番になろう”。

 それは別に、医療的な研究者でも、歴史・文化的なものでも、何でもやり方はあったはずだけれど。
 僕は真っ先に“インターネットで1番”を目指した。そりゃあ、もう、愛しているんだし。
 …わりと簡単、ということもなくて。日進月歩に進化・変化していく検索エンジンで、「アルビノ」という言葉から「粕谷幸司」という人物を結びつかせるには、いろんな工夫を凝らした。
 3年間の会社員時代に体得した知識・経験なども活用して、もちろんインターネット検索で新しい情報も吸収しつつ、まさに試行錯誤しながらの展開。
 その結果、大成功!…というほどではないけれど、一応、事実上は、たぶん「インターネット上で1番有名なアルビノの日本人」には、なったかなあ、と思うんだ、きっと。
 ささやか、なんだけれど。これは僕の、自信のひとつ。

 あとは運と、コネクションと、実力(タレント性)と、見た目と…、う~ん、考えると必要なものは、まだまだ足りなさすぎるのだけれど。
 たくさんの人の支えや応援、そして自分の努力で作り上げてきた「これ」は、最近ではちょっと、誇れるものだなあと、思えたりする。
 だから、タイミングってのは、ひとつ恵まれていたんだなあ。

 インターネットというものの時代に生き、まだ僕以上にアルビノを前面に売り出して活動する「タレント」が居なくて、そして僕以上にインターネットでアルビノを獲ろうとする野心やテクニックを持った人も居なかった、この17年くらい。
 一目散に駆け抜けていただけの僕だけれど、振り返ってみれば、その時の僕にしか出来なかったことを、してきたんだなあって。

 思い描いたような成功には、まだまだ手が届かなくて。
 夢見ていたような大人には、ほどほど成れてないけど。
 インターネットで生きてきた僕は、少しは認めてあげられるかな。

 だからこれからも、まだ大好きでいられる気がする。
 インターネット。

飾らないでみよう

『粕谷幸司の自由なコラム』05

 どんな言葉を選んでしゃべってみても、僕が僕であることはそう簡単には変えられないのだ。

 けれど、どこか飾っちゃうんだよね。カッコつけちゃうというか。
 もちろん、タレント活動をする上では、存在を偶像化するというか、多くの人が「好い」と思えるナリフリをしていることも仕事のうちなので、天才ではない限り、そのまんまの自分で在るというのも違うんだけれど。
 けれども、ね。最近は僕、ちょっとその飾りを解いてみようと思ってて。実験中なの。

 今のところ数少ないけれど存在してくれている女性ファンのことを思って、なるべく黙っていたのだけれど。実は僕、かなり毛深いんだ。
 髪の毛が、わりと量が多くて、太くてしっかりしてるので、もしかしたら想像に易いのかも知れないけれど。しかし、全身の毛が白いから、目立たないということもあるのだけれど。
 まゆ毛はね、よく見ると眉間がつながってる感じでね。まつ毛も、たまに目に入って泣いちゃうくらい存在感ある。鼻毛は、けっこう定期的に刈ってるし。ヒゲも濃い、首の方までたっぷり。
 胸毛は、ちくび周辺まで広くはびこっていて。ヘソ毛はそのままデリケートゾーンへつながって…、ん? ちょっとしつこいか。
 ともかく、僕は実は、全身かなり毛深い。
 とは言っても、僕が全裸ないしはそれに近い格好でみなさんの目に触れることは可能性として低いし(無いとは限らないけど、将来的に)。言わなければみんなの頭の中では《美しいアルビノの身体》を想像してもらえるんだから、バラさなければ良いのだけれど。
 けれど、なんと言うかね。これがリアルな僕でして!…って、言いたくなるんだ。

 これを読んでくれているくらい、僕に興味を持ってくれている方は、もう知っているだろうけれど。
 僕は愛煙家です。煙草を、よく吸います。
 …これもね。社会的にはもはや「煙草を吸ってる人間は悪」という考えが“常識”みたいになってるし。ちゃんと丁寧に隠していれば、嫌煙家の人から嫌われることも無いんだし、もしかしたら少しはモテる要素になるのかも知れないし…、言うだけ、損なんだけれどね。
 でも僕は、煙草が好きで、吸ってるんだ。

 あと、けっこう神経質っぽいところもある。部屋の中も、決してピカピカというわけではないけれど、物の配置とか、気になったりして。人を招いて何かして、終わって帰ってもらった後に、独りで後片付けをしている時とかも、いちいちポイントをチェックしてたりする。
 でも自分の中の許容範囲ってのは雑なもので、破れたパンツも「まあバレないし」と思ってはいてたりするし、換気扇の下は煙草の灰が散らばってたりもする。

 お酒はね、好きなんだけれど弱くてね。人と一緒に飲んでる時は潰れないようにしてるけど、独りでヤケ酒しちゃってる時とか、遠慮無く飲める仲間と居る時とかは、ベロンベロンになることもある。
 弱いから、記憶無くなることは無いんだけれど、意識が無くなる寸前とか、話しながら寝ちゃうとか、そうかと思えばあっという間に気持ち悪くなってトイレに駆け込むとか…、あまり褒められたもんじゃない飲み方になることも、ある。

 人間としてダメな、危険ドラッグとか、違法薬物とか、そういうのは絶対にしない。
 ギャンブルも、楽しさがあまり見出だせていないこともあるし、お金がないし、しない。
 けど、だらしない生き様なところはある。

 まだまだ書き切れないけれど、そういう、出したくもない所も含めて、僕が僕であるんだなあと、思うわけで。
 僕のそういう所を知って、それも含めて「粕谷幸司って好いな」と思ってくれる人こそ、大切にしたいなあと思うの。

 だから、もっと飾らないで…というか、むしろ自分の恥ずかしいところを積極的に“(何らかの)面白さ”として発信していきたいなって、最近よく思ってる。

 …それでも、好きでいてくれるかな?

裏っ返しの明るさ

『粕谷幸司の自由なコラム』01

 僕は、暗い。

 声質はわりと高めで、張るとピーンと通るタイプで、話題も楽しいもの・笑えるもの・面白いものが好きだし、そもそもアルビノで髪や肌が白いから、見た目の印象も明るい。
 でも、性格は、けっこう暗い。

 人生を楽しく過ごすヒントとして、ポジティブになる!って、よく聞いたり言ったりするけれど。そんなもの、正直信じられない、と思う。いや、ポジティブな人、というのは存在するとは思うけれど、ネガティブな人が“ポジティブになる”だなんてそんな、難しくね?と、思う。…少なくとも、ある程度考え方とかが出来上がったイイ歳になってからは、ちょっと、無理なんじゃない?と、思う。
 そんでもって僕は、表現者として、そんな暗い自分も嫌いじゃないって思ってるから、よく人から面倒臭がられるし、ある時は「生きづらそう」って心配までされたりもする。だけれども、やっぱり、ポジティブになろう!ってのは無理だと思ってるし、ならない自分が嫌いじゃないんだから、厄介だけれど大好きだ。

 とても卑屈かも知れないけれど、僕は、どこか人の持っている“理想通りに行かない現実へのモヤモヤ”が、表現にとってのエサだとすら思っている。
 恋愛について考えている時だって、とんでもないコンプレックスがあったり、失恋経験を持っていたり、あるいは普通すぎて何でもないという虚しさのようなものがあった方が、モノづくりには前向きになれるというか、振り幅がデカくなって、大いに暴れられる、ねじれる表現行動に進めるような気がしている。

 大学の卒業制作で、僕は自分を大きく投影した“アルビノの青年が主人公の映画シナリオ”を書いた。
 誰にも言わずに溜め込んでいた本当の声とか、誰かに言ってみたものの全然わかってもらえなかった思いとか、そして多くの人が共感しそうなテーマとなる言葉とか、そういうのをあざとくも素直にぶつけたそのシナリオは、教授から質問こそあったものの、特にダメ出しということもなく、なんかの賞みたいのをもらって、完成した。ネガティブをこじらせて生み出したハッピーエンドの物語は、今でも実は、不格好だけど愛してる。

 暗くて良いこと、ってのはなかなか思いつかないけれど。しいて言うなら表現者にとっては、闇を知らなければ光の美しさを描けないんじゃないか?って、思ったりもする。
 だからといって進んで失敗したり絶望したり、死にたいくらい悲しい・虚しい思いをするのは嫌だけれど。けれどそういう暗さを知ってるからこそ、多くの人が抱える弱さに寄り添えて、多くの人が求める輝きを見つけ出したり、創り出せたり、一緒になって愛したり出来るんじゃないかなって、思うんだ。

 はじめから完成しているパズルを見ても、妙な模様の絵にしか見えないみたいに。
 けれど自分で苦労して、嫌になって、でもやめられなくて、続けて、少し面白さが芽生えた頃に完成した、そんな“感動”があってこそ眺めるパズルは愛しく、何よりも素晴らしく思えるみたいに。

 絶対、面倒臭いんだけど。僕にとってはネガティブが表現に結びついてるところがあって。病んでる時こそ生きたい衝動を感じる気がするし。モテないからこそモテたい意思が僕を強くするし。苦しいからこそ楽しさを必死で求めている自分を、知っている。

 大好きなヒーローは、何度も負ける。
 負けて、何度も立ち上がる。
 負けなしの最強ヒーローになんて、僕はなれない。

 暗いからこそ、明るさを求められるんだ。
 …そんなふうに思えたら、僕はちょっと、ポジティブだけど。

 そういう裏っ返しの明るさってのも、あるんじゃないかな、って思ってる。