月別アーカイブ: 2014年7月

歌うこと

中澤まさとも『人生のパクが早上がりでもさ!』02

 皆さんにはだいぶ知られてきていることだと思いますが、声優だって歌います。
 演じるキャラクターが内包した作品においてのテーマをキャラクターソングとして演じるキャラクターのまま歌ったり、はたまた一人のアーティストとして音楽を作ったり。
 特にキャラクターソングというものは、物語を通さないと表現できない“キャラクターらしさ”をたった数分で端的に表現できてしまうのですからすごいものです。
『越えざるは紅い花~大河は未来を紡ぐ~』のイベントで、僕の演じたルジの歌を歌わせてもらったのですが、歌の雰囲気・歌詞などまさに“ルジ”という人物をかたどっていたと思います。さらに自分が演じてきたこともあるものですから、歌詞がスルスル覚えられる!というですね…(笑)
 それらも含めて、この一・二年で歌う機会が増えました。
 ライブイベントやCD企画に参加してみたり、自分でイベント用意したり、お仕事で歌わせていただいたり…。
 子供の頃から歌うことが好きでした。今も好きです。
 ただ上手いとは思っていません。謙遜でもなく卑下でもなく、事実としてそう思います。出せる高音が限られますし、音程もまだまだ不正確ですし、リズム感もありません。それはこれまでアーティストさんや歌手のお仕事を見たり、先輩・後輩の歌を聴いてきて痛烈に思ったことです。上手い人がいっぱい居て臆してしまいます…。
 しかし、僕が僕の行きたい道を行く限り、今後も歌う機会があると思うのです。
 同業の方の中には『声優はあくまで声の演技をするもの』として、歌のお仕事をお断りになる方もいらっしゃいます。また『キャラクターのイメージを著しく損なう』という理由から歌われない方もいます。どちらもキャラクターを演じることを第一とした専門職としての意識がありますね。
 話は変わりますが、そういう意味では昨今言われている『タレント・芸人さんが声優業に挑戦すること』と『声優が歌うこと』の問題点は似ているのかもしれません。
 声優の演技には(作品の系統にもよりますが)専門の技術が必要です。そして、自分が歌っていても思うのですが、歌うことにも専門の技術が必要です。タレント業も、芸人も、俳優業も、モデルも、アイドルも、“エンターテインメント”という大きな幹から枝分かれしてそれぞれの花と果実を実らせるにはそれに見合った栄養配分(訓練)が必要なのでしょう。
 皆さんも歌を聞いていて感じたことはないでしょうか?
 「アーティストとして歌っているのに音楽ではなくキャラクターソングのように聞こえる」とか「歌が上手すぎてキャラクターソングに聞こえない」などなど…。
 個々人の感覚ですので、誰がどうとか言い始めるのは非常にナンセンスですがこういった話を聞いて「では自分はどうしていこうか」などと考えるのです。
 僕はと言うと“巧く出来た方が楽しい”という思考でいますし、製作者のイメージを叶えたい気持ちが何よりもあるので技術を高めていきたいと思っています。そのために訓練も受けています。
 自分にとって歌う意味とクリエイター側が僕に歌わせる意図にしっかり向き合って、自分の立場を理解して“歌うこと”に本気で挑戦していかないとと考えているのです。
 特に一人のアーティストが自分のテーマを持って自分の音楽を進んでいくのとは別に、声優は自分の演じる役のテーマに沿った音楽を、自分に合うか合わないか関係なく歌うことになったりするわけで…サントラや和む系の音楽ばかり聞いている僕も広く音楽に触れていかなければなと、そう思うのです。
 ひとまず今自分の手元にあるものと向き合って今日も頑張ります。

埼玉家さんのたい焼き

『ひらいまさゆきの「あんこに想いを廻らせる。」』02

ども、あんこ大好き!平居正行です。

このコラムは、あんこ大好き!を自称するおいらが、ちょっと気になっているあんこを食べにふらっと街に出掛けてみたり、過去に食べてきたあんこたちに想いを馳せて語ってみたりと、あんこの魅力を勝手にいろいろ紹介していくあんこコラム、題して、『ひらいまさゆきの「あんこに想いを廻らせる。」』です。どうぞよしなに。

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今回、おいらが訪れたのは練馬でございます。
台風一過でとんでもない暑さになった中、ふうふう言いながら駅北口を出て右手にある商店街を進んで行くと、やがて見えてくる緑色の屋根。どこかなつかしい感じのする店先には、「たい焼き」の文字が風に踊っている。
中を覗くと、鉄板の上にたい焼きが五匹。
店の中には、優しい笑顔の柔らかなおばあさんがいらっしゃいました。

おいら「たい焼き三つくださ~い!」
アツアツの三匹を、慣れた手つきで紙の袋に詰めてくださるおばあさん。
焼きたてのたい焼きのいいにおい。
いやはや、急に暑くなりましたねぇ~、なんて、世間話をしていたら、
おばあさん「夏の間は焼き場が暑くなるから、たい焼きおやすみになるんですよ。」
ええっ!そうなのですか?!
この日も、暑くて午後3時過ぎからたい焼き販売していたとのこと。
おばあさん「明後日くらいからおやすみになりますから、ごめんなさいねぇ。」
実はおいら、この日がダメだったら明後日くらいに食べに行こうと思っていたのです。
なんという運命的なタイミング!(たい焼きだけに!)

おいら「よし、帰ったら早速、食べよう。」
...と思っていたのだけれど、帰り道、おいしそうなたい焼きのにおいの誘惑にガマンできずに、一個フライングして食べてしまう。(笑)
持つと、あんこずっしり。ひとくち食べると、中はふんわりアツアツ、外はパリッ。なんともなつかしい味。

というのも、おいらがまだ小さかった頃、祖母の茶飲み友達のおばさんが、家に遊びに来るときにいつもたい焼きをおみやげに持って来てくれていたんです。
だから、小さなおいらはその方のことを「たい焼きのおばちゃん!」と呼んでいました。(笑)

たい焼きは一匹だけでも美味しいのだけれど、何匹か一緒に包んであるたい焼きの、しっとりした、温かいにおい。味。が、あると思うのです。
それは紙や紙箱にぎゅっとたい焼きが入っているからこそ、味わえる美味しさ。
そのなつかしい味を久しぶりに思い出した、たい焼きの味でした。

家に帰ってすぐ、迷わず残りの二匹を食べる。(モチロンネ!)
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ちょっと時間が経っても、ほんのり温かくてやっぱり美味しい!

ちなみに、たい焼きと大判焼きの違いって形だけで味は全く変わらないんじゃね?と思われている方のために、おいらなりの見解をば。
大判焼きも好きっちゃ好きなのですが、形はやっぱりたい焼きが好き。しっぽの先まであんこぎっしりで、間からもはみ出ているのがたい焼きのステキポイント。
Oh!ナイスバディ!なところがたい焼きのスンバラシイのです!
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アツアツで美味しい、すこしさめていても美味しい。そんな埼玉家さんのたい焼き。
しかし、次食べられるのは秋までお預けなのか。。待ち遠しい。

はてさてあんこコラムの第二回、今回おいらが想いを廻らせたあんこは「埼玉家のたい焼き」でした。

美味しいあんこは美味しいうちに、どうぞ本日中にお召し上がり下さい。
おしまい。

「自分らしさ」という面倒臭い考えごと

『粕谷幸司の自由なコラム』02

 本当は、自分らしくいたい。
 けれど…、もはや「自分らしい」って、なんだろう?

 僕は3兄弟の末っ子で、とても甘えん坊なところがある。なんというか守られたい願望というか、あの頃のように親や兄たちの後ろにくっついて歩いて、モジモジとおとなしく安全なところに居たいという気持ちもある。
 けれど男の子らしいやんちゃな冒険心というか、ちょっと思い切って飛んでみたい本能みたいなものも持っている。そういえば小学生の頃とか、結構むちゃくちゃなことをして、先生に怒られたりもしていた。
 堅実に、というか言ってしまえば「立派な存在でいたい」という思いも、ちょっとあったりする。責任感は強すぎるくらいあるタイプで、やるべきことは、しっかりやらなければならない、と思ってみたりもする。
 でもどこかで、馬鹿者でありたいとも思っている。普通に対するコンプレックスというか、才能への嫉妬というか、なんとかこの「何でもない存在」から解脱して、愚かと言われるくらいに思い切った行動にも憧れる。
 そして特別な存在でいるために、いつもいつも、もがいている。シナリオを書くことも、喋ることも演じることも、どこか自分の「何か」にしがみつくように、あの時「面白いね」ってホメられたことが忘れられなくて、必死にあがいている。

 ものすごく大きな声で、笑っていたい。いつも人に囲まれて、賑やかに楽しく暮らしたい。
 誰とも近づかずに静かに、ただ、ただ眠って黙って考えて、ゆっくり進む時間の中に隠れてもいたい。
 眠るのが惜しいくらいに仕事をして、仕事をして、とにかくアッという間に人生を駆け抜けたい。
 忙しさから解放されて、何もせずにぼんやりと、映画を観たりテレビを見たりしながらゆっくりも進みたい。

 どれもこれも自分の中にある素直な気持ちで、
 どれもこれも自分らしい生き方ではある気がする。
 …じゃあ自分らしいって、本当は何なんだろう。

 怒られたくない、嫌われたくない。そう思うから、波風立たない穏やかな日々を過ごしたい。
 強い思いを持っている衝撃的な表現活動も大好きだから、ドラマや映画みたいな激動の人生を生き抜きたい。
 どちらも僕で、どちらも欲しい。

 いけないなあ、とわかっているのは、自分がすぐにブレーキをかけ、人の顔色をとても気にして、なるべく損をしながら逃げていこうとしてしまうところ。
 損をしても正義を持って耐えている人を、人は責めないし怒らないと、知ってしまっていること。
 …そう、結局は、自分らしさを出さないことで、守りに入っている、ような気がする。

 したいことを、したいようにする。
 それが出来ればきっと、こんなふうに考えなくても「自分らしさ」というものが、見えてくるのかな。
 出来ないけれどね、そう簡単に、それは。

 多分、この考えについては共感してくれる人も多いんじゃないかな。
 そしてきっとわかってるんだな。それは、好き嫌い言わない“良い子”でいるってことなんだな。

 そうして生きていくことが悪くはないってのも知っているから、殻を破れない。
 そもそもはそんな“殻”を作ってしまったのも自分だって気付いてもいるのにね。

 って、面倒臭いこういう考えごとをする自分は、自分らしいなあって思うんだな。
 そしてこういう自分らしさに味をしめているからまた、自分らしさを見つけられないという日々に生きていることも、どこかで受け入れちゃってるって自覚はありつつ、そうしたまま今日を迎える。

 困ったものだけれど、けれど今この自分こそが自分らしさというか。
 今まで歩んできた道こそが自分の人生で、その今の自分を面白がれる余裕があればきっと、この自分らしさを認めてあげることが出来るのかも知れないね。