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明るいほうへ、世界を変えよう

『粕谷幸司の自由なコラム』16

 ちょっと前に、twitterで呟いたんだけど。
 政治活動そのものについては、なんとも言うことはないけど。「戦争法案」と言い換えているやり方は、なかなか善しとは思えないんだ。

 …このたった一行だけの解釈では誤解を生んでしまうかもだし、なにより今このタイミングでこの件をモニョモニョ言うのって難しいし、むしろ言いたいことはソレではないからいいんだけど。
 世界を変えよう、と思うときに、どんなやり方が好いのかなって、ふと思うのね。

 僕の話に引き寄せると。僕は、このアルビノを悲劇にしないで、エンターテイメントの材料にすらしようと思って動いているわけ。
 っていう僕の思考を知っている人は「なにをいまさら」だと思うのだけど。

 悲しみや苦しみは、多くの人に響きやすくて、そしてどんな人にもわかりやすくて、わりと濫用されているように思う。
 僕も小さいころに「世の中には食べるものがなくて困っている人もたくさんいるんだから」って話を聞いて育った。子供ながらに「なるほど、そうかー」と思って、食べ物は大切にしよう、とは思った。
 だけど、実はそれって、ちょっと乱暴な展開というか。実際には“目の前の物を食べさせる”という私利私欲(?)のような目的で、引き合いに出してるだけのような、気がしてさ。

 アルビノについてだって…“世の中には、アルビノとして生まれただけで生命の危険に晒される人もいる”状況があったり、現代・国内だって“いじめ・差別”をはじめとする問題があるにはあったりして。
 その事実から目を背けるわけにはいかないけどさ、だけど、だからって「ね?かわいそうでしょ!?」というアピールって、楽しい未来をつくれるのかな。果たして。
 一昔前にも「○○しないと不幸になる」「○○ないと地獄に落ちる」とか、変な言い回しがアレだったことがあったっけ。それって、脅迫なんじゃね?みたいな、さ。

 単なる言い方の話、と思うことも出来るけど。
 けど、その言い回しで、届く思いに違いが出ることってすごくある。

 僕がこれまで関わってきたいろんなところでも、悲しみ・苦しみを材料としてアピールしちゃって「こんなにかわいそうな人がいるから○○してください」のような展開をしていたこともあったけど。
 それは僕にとって全然、楽しい未来をつくるための方法として好くないと思ってるんだ。

 そりゃあ、問題の本質による。すべてが、そんなに楽しく転換できるはずもないけどさ。
 でも…、過去や現在を否定するんじゃなくて受け入れたうえで、未来を明るく照らす方法を、選んでいきたいと思うよね。

 僕にとってのアルビノは、グラビアアイドルにとってのおっぱい(例えをすぐおっぱいにする悪い癖)。
 そんな感じのほうが、多くの人の幸せをつくれる、と思ってる。

 おっぱいが大きくて、もしくは小さくて、悩んでる人。
 大丈夫、それを好きな人もいっぱいいる。それを武器に、輝いている人もいっぱいいる。
 そして、今はいろんな方法を選べる。隠すことも出来るし、魅力として使うこともできる。
 自分らしい生き方を、選ぶことができるから、大丈夫。

 …ほら、一緒じゃん。

 でもたったひとつ「かわいそうだね、苦労したでしょう」って思いをそこに混ぜると、明るい未来がかすんでしまう。
 本当は楽しい方へも考えられるはずなのに、暗く、険しい過去や現在に閉じ込められちゃう。
 未来に向かって進む一歩を断ってしまうことこそ、不幸の連鎖になる。

 そして、この根本的な“捉え方・伝え方のバランス”は、まだまだ変わらないから。
 だから僕は、繰り返す。

 僕は、このアルビノを悲劇にしない。

世界平和

『粕谷幸司の自由なコラム』08

 例えば世界平和が実現したとしても、すべてがすべての人の思い通りになるわけじゃない。
 例えば夢が叶わないこと、例えば人が死んでいくこと。

 僕らが生まれた昭和という時代には、まだ「戦後」のような言葉を意識しないで使っているような風潮があった気がする。
 あのころには、まだ「戦争を知っている人たち」が多く生きていて、正月や盆に顔を合わせると、なにかと面倒な話をたくさん聞かせてくれた。
 日本が終戦してから、今年で70年。1945年に10歳だった方も、もう80歳。
 彼らは今この時代を、どのように眺めているのだろうか。
 相変わらず世界のどこかでは戦争やテロがおこなわれていて、ふと国内に目をやっても、決して命を大切に生きている人ばかりではなく、犯罪があり、憎しみや苦しみも、穏やかだからこそ生まれる狂気のようなものも間違いなく在って。
 今この時代は、70年間でどのように積み上げられてきたのだろうか。
 彼らが望んだ未来は、本当にここに実現しているのだろうか。

 高度経済成長期と呼ばれたその時代に、僕らは何を求めていたのだろうか。
 復活、だったかも知れない。誕生、だったかも知れない。
 時代は“明日へ”という不可逆な時間の積み重ねで刻まれていく。
 ボロボロになった者が夢見た「明日」を、彼らが積み重ねた未来を、今、僕たちが生きている。

 その時代に求めるモノとは、多分その世界を生きている人々によって様々なんだ。
 「生きていたい」と願う時代には、生きられないような現実があった。
 「変わりたい」と願う時代には、変わることの出来ない現実があった。
 今、僕たちの願いが息づくこの時代には、どんな現実があるんだろう。

 制度だとかうんぬんは、ひとまず置いておいて。この世界(現代日本)では、そう簡単には死なない。
 本当に死にそうな時には、何かに頼って生き延びることが許されている。
 その規模やなんかは置いておいて、この世界ではどんな夢でも、叶えるために走ることが出来る。
 誰が見たって叶わない夢だとしても、それを追い求めるのを止めることもない。

 …今、この「小さな世界」には、気付けば「小さな平和」が存在している。
 そう、僕らは実は、平和の中に生きている。
 そんなに簡単に人を殺すことは無いし、そんなに簡単に人に殺されてはならない。
 ここにある平和を、時代の中で積み上げられた世界を、また好きになってみても、良いのかも。

 世界が少しでも平和であるのなら、人が求める「衝動」とは一体、どこにあるだろうか。
 頭がおかしいクソみたいな人間は、その身を自ら悪に染め、己が悪として生きることを選ぶ。
 そんな事件を伝えるニュースばかりが溢れていて、今日も僕は、すっかり病んでいる。

 僕は、本当の世界平和が見たい。
 僕が、エンターテイメントでつくりだす世界平和を見てみたい。

 芽生える心の悪や狂気は、テレビドラマや映画で消化する「フィクション」であればいい。
 人が幸せで、まさに個人の平和を手にして心豊かに暮らしていける世界のひとつに、エンターテイメントという要素が大いに必要なんじゃないかと思う。
 もっと刺激的なエンターテイメントを、もっとありえないフィクションを、そして時々、忘れられない過去という現実を。
 僕らはひとつひとつ、楽しんで、平和を手にして、生きていければ良いんじゃないかな。

 僕の夢が、叶うかどうかは知ったことじゃない。
 ただ僕は、この世界に夢を抱いて、生きている。

 …今回は異常に重たいな(笑)。
 次回こそは、シモネタにでもしよう。
 誰も傷つかないような、しょーもないエンターテイメントを。